MALIBU EXPO &

PACKET PICK-UP

NOVEMBER 7th, 2020

10:00 AM - 6:00 PM

 

gear up for race day

It is mandatory for everyone participating to pick up their race packet, t-shirt and bib at the Expo on Saturday, November 7th, 2020.  There is absolutely NO RACE DAY PACKET PICK-UP. NO EXCEPTIONS, sorry.

In addition to picking up your Bibs, timing tags and race t-shirt, the Malibu Half Marathon & 5K Expo & Packet Pickup features merchandise for sale, demonstrations, and information from a variety of merchants and vendors.

 

Stop by the Rusnak BMW booth and take a close-up look at the latest BMW Hybrid vehicles. Receive free treats from various vendors, and shop for some new gear at the New Balance Pop Store.

 

This event is open to the public, so come with your friends and family... there is something for everyone!

In order to pick up your race packet, you just need proof of registration (on your phone is fine) and provide a valid photo ID.
Also, make sure you have signed the waiver. 

「王国」「王朝」の違いを教えて


世界史用語は分かるようで分からないものが多いですよね。

「王国」「王朝」について違いを説明します。

「王国」

…“王”がトップに君臨する国のことです。ですから、国のトップが王ではなく“皇帝”ならば「帝国」と呼ばれます。中国史では秦の始皇帝以後、権力者はほぼ「皇帝」をなのりましたので、そういう意味からすれば秦以後の中国も「中華帝国」ということができます。

「王朝」

…国のトップを代々受け継ぐ家柄のことです。例えば、「福岡」という国を「井上家」が代々トップに君臨する場合、「福岡王朝」「井上王朝」「井上朝」などと呼ばれます。 ※「○○王朝」は「○○朝」と省略しても構いません。




「王朝」って何?


王朝とは、「代々王位が受け継がれていく国」のことです。例えば、「井上家」の人間が代々、親から子、子から孫、孫からひ孫……というように長い期間にわたって王位(王様の位)を継承して君臨し続ける、というのが「王朝」です。この場合、その王国は「井上朝○○」という言い方で呼ばれます。徳川家が、養子縁組しながら代々将軍の座を継承してきたのも、ある意味で立派な「王朝」ですね。(日本史で江戸時代のことを「徳川朝日本」とよぶことはありませんが、そう呼んでも間違いではありません)




「大王」って何?


「大王」というのは、歴史的に見て「偉大な王様だったなぁ」「あんなリーダーはなかなか登場しないだろうな」という非常に高く評価されている人物に付けられます。「大王」と呼ばれるための明確な基準はありませんが、誰に「大王」が付けられるかはほとんど決まっています。「アレクサンドロス大王」や「アルフレッド大王」、「フリードリヒ大王」などが好例でしょう。

ちなみに英語では、名前の後ろに「the Great」をつけます。アレクサンドロス大王は「Alexander the Great」ですね。




「裸」の絵が少ないのは、やっぱり恥ずかしいから?


われわれが人に見られて「恥ずかしい部分」というのは、時代や地域によって大きく変わります。例えば、今でこそ「女性の胸/下半身」や「男性の下半身」は隠すべき部分とされており、パンツも履かずに街に出たら警察に捕まってしまいます。ですが、2000年~3000年くらい前になれば今ほどそうした「恥」の意識は無かったでしょうし、女性だって胸をさらけだして農作業にあたることなど普通にあったと思います。現在の「恥」の文化は、概ね「キリスト教」的なものだと考えていいでしょう。キリスト教では神への信仰心を失わないために、あるいは余計な争いごとを増やさないために、本能的な欲(性欲)を全面に出さないことが「良い」とされています。

これが、西洋的な「恥」の文化の根幹となっています。(良い悪いは別として)

日本はどうか。日本も、かつては全く異なる「恥」の文化がありました。

たとえば、鎌倉時代に描かれた絵巻(「東北院職人歌合絵巻」)の一部分を見て下さい。

これは、博打(ギャンブル)に負けてしまって身ぐるみをはがされてしまった男性の様子ですが、裸にされて、今で言う「大事な部分」もあらわになっていますが、男性は特に気にしていませんね。ところが、裸にされているにも関わらず、頭にかぶった帽子(烏帽子(えぼし))だけはかたくなに脱ごうとしません。

実は、当時の日本で最も恥ずかしいとされていたのは、成人の証である「帽子(烏帽子)を人前で脱ぐ」行為でした。下半身が丸見えになることよりも、帽子をとった姿を他人に見られることのほうが恥ずかしかったのです。たったの800年前のことなのに、「恥」の感覚は大きく異なります。何を「恥ずかしい」と感じるかは、時代によって様々なんですね。




サッカーの起源は?


サッカー(フットボール)の起源についてはいろんな説があって、どれが正しいというのは結論が出ていません。だいたい、丸っこいものを蹴っ飛ばして遊ぶ、というのは、世界のどの地域であっても思いつくんじゃないかとは思います。サッカー文化とは長いこと無縁だった日本でも、「蹴鞠(けまり)」という平安貴族のたしなみがあったくらいですからね。

私が聞いたことのあるサッカーの起源説で面白かったのは、イングランド(ロンドンを中心とする地域)が他国と交戦しているとき、見張りの兵士がヒマをつぶすために死んだ相手の兵士の首を切り取って、ボール代わりに蹴っ飛ばして遊んだのが始まり、という説です。もちろん、手で触ると血がついて汚れるので、手は使わない。これが「ハンド」という反則の起源になった、というんです。さすがに、どこまで真実なのかあやしい説ではありますがね。ちなみに、「オフサイド」という反則が生まれた経緯を、歴史的に解明した有名な本もありますよ。

サッカーはたびたび世界史研究の題材になるスポーツの1つなんです。




なぜ人間はドラッグ(麻薬)を使う?


現代社会においては当然、「ドラッグ」「麻薬」の使用は肯定されていませんし、私自身もその社会的風潮には賛同します。

しかし、古来より「麻薬」は宗教儀礼においては欠かせないものでした。つまりもともと「麻薬」とは個人的な快楽のためにあるのではなく、宗教儀式を司るシャーマン(祈祷師・呪術者)が神に近づいて、その言葉を聞くための重要な道具だったのです。「麻薬」を使って精神が高揚(いわゆる「ハイ」の状態)すると、目の前がぼんやりして、頭もぼうっとしてきます。この状態を、昔の人は「神に近づいた状態」だと信じたのです。

現在でも、宗教儀式に限り「麻薬の使用」を認める国はいくつかあります。




現代の建築技術でも再現できない遺跡はある?


世界七不思議に数えられるような、巨大で荘厳な遺跡はよく「現代の建築技術では再現不可能」と形容されますが、実際はそうではありませんね。

確かに、古代の技術

水準でどうやって建築したのかは詳細が分からないにしても、現代技術で再現できないことはないでしょう。クレーンなどの重機がありますからね。ピラミッドだって、実際に作るとなると、資金や人出がかかりますが、作れないことはないはずですよね。

ただ、世界を探せば、色々と不思議な遺跡はあるもので、例

えば、地中海東岸のレバノンにある「バールベック遺跡」という世界遺産にも登録されている神殿群があるのですが、ここに「バールベックの巨石」と呼ばれる石があります。昔から、この巨石は、現代の技術をもってしても運搬が不可能、といわれており、現在でも当時の技術水準でどう運搬したのかは分かっていません。

【補足】最近開発された巨大クレーンは3000トンまで持ち上がるそうです。




言語の始まりは?


実は、世界中の研究者(人類学者・生物学者・解剖学者など多岐にわたる分野の研究者)が、人類はどうやって言語を獲得したのか?というナゾの解明に取り組んでいます。教科書では、「原人あたりから次第に言語が形成された」として教えますが、これは化石調査の結果、ノドにある発声器官の進化によってさまざま音域の音を出せるようになったと考えられているからです。サルや鳥たちが出す音とは決定的に違う音が出せるようになった、という時点を持って「言語が誕生した(であろう)」と研究者は考えているのです。もちろん、当時の原人たちが用いていた発音や文法などが分かるわけはないのですが、群れ(集団)の仲間たちだけで通じる何らかの音声コミュニケーションがなされていたことは間違いないと思います。(「言語」の種類も、「集団」の数の分だけ存在したでしょう)

 時代がぐんと下り、文字が使用されるようになると、言語にもだんだんとグループができてきます。(世界史の授業でも勉強しますが…) この早い時期に比較的近いグループにいた言葉は、やはり現在でも発音・文法がよく似た言語となっています。




なぜ人間は「言語」を必要とした?


ふだん当たり前のように使っている言葉ですが、その言葉がどうやって発生したのかは確かに謎めいています。人間の進化の過程で骨格や内臓器官が変化し、さまざまな音が出せるようになってはじめて「言葉」が生まれたのですが、これでは「言葉」が誕生した“理由”を説明していることにはなりませんね。

 これは想像するしかないのですが、まず「言葉」を使うには、「仲間」の存在が前になります。一人ぼっちで生きていくのであれば「言葉」は必要ないはずですが、仲間と協力する必要が生じたために「言葉」が生まれました。おそらく、初めての言葉は、「生きていくために必要な単語」だったでしょう。たとえば、「食べ物」とか「獲物」、他には「木の実」、あるいは「寒い」とか「火」など、命を永らえさせるために必要な言葉だったと思います。つまり、「獲物」がいるから協力しろ、とか、あっちに「木の実」があるから取りに行ってくれないか、という具合です。

 実は言葉(言語学)の世界には「言語決定論」という面白い学説があって、言葉はその人たちの生活から生まれてくるものであるから、別の生活スタイルをしている人たちの言葉はとは全く成り立ちが異なっていて、ストレートに翻訳することが難しい(私たちの思考は、実は言葉によって使う言葉によって決められているんだ)という説です。

たとえば、アメリカ大陸の先住民(いわゆるインディアン)のナヴァホ族は、

「青」と「緑」は同じ言葉で表現します。これは、彼らの生活において、特に「青」と「緑」の違いを認識しなくても特に問題が無いからでしょう。また、日本人は「雪」と一言で表現してしまいますが、北極圏にする人々の言語には雪の状態によって全く単語が異なる「雪」をあらわす言葉が50~100種類以上あるとも言われています。(これについては多々異論もありますが……)

話しを戻しますが、言葉ができたきっかけは「仲間と協力しなくてはいけなくなった瞬間」、そしてその成り立ちは「その人々の生活スタイルに大きな影響を受ける」、

と私は考えます。




好きなピラミッドは何?


なかなか斬新な質問でよろしい。(笑)

ギザの三大ピラミッドも良いけど、「ジョセル王の階段ピラミッド」も素晴らしいですね。というか、実はこのピラミッドがエジプト最古のものとされているので、ギザのピラミッドはこの階段ピラミッドのいわば「後輩」。全てのピラミッドのモデルとなった由緒正しい(?)ピラミッドです。




好きなプロ野球選手は誰?


福岡ソフトバンクホークスの前身球団である「福岡ダイエーホークス」にやってきた助っ人外国人の「トラックスラー」。

バッティング:微妙 守備:微妙 走力:論外 という典型的なポンコツ外国人でわずか一年間のみの在籍でしたが、太っちょの身体で一生懸命にプレーする姿が妙にファンの心をつかんで、結構人気者でした。(当時小学生だった私も好きな選手でした)

残念ながらアメリカに帰国後、アルコール中毒による肝硬変で亡くなられたようです。37歳の若さでした。




好きな遺跡はどこ?


好きな遺跡。良い質問ですね~。

しかしこれまたざっくりとした質問だから、なかなか一つを選ぶのは厳しいね。しかも、遺跡や遺跡の写真を常日頃から見まくっている世界史教員に聞くとは、なかなか意地が悪いですな。

 そうね~、好きな遺跡で、なおかつインパクトのあるものでいったら、 スリランカの「シーギリヤ」(シギリヤロック)とか好きですね。人が立ち入れない、高さ200メートルもの奇岩の上に、なんと1500年前の王宮の遺跡があります。つまり、周辺を一望できる巨大な建造物が、かつてこの岩の上にあったのです。 当時の人の目には、この王宮はまさに「空に浮かぶ宮殿」のように映ったに違いありません。この岩の上に王宮を建てようと思った王もすごいけれど、実際に建ててしまった人々の技術力も大したものです。




好きな化石人類の段階は?


猿人・原人・旧人・新人のどれが好きって、初めて訊かれたね(笑) 大変面白い質問をありがとう。

そうね~、ぶっちゃけどれも一緒でしょ~。まあでも、あえて「コレ!」というのを選ぶのなら、「旧人」ですかね。理由は、“人間らしさ”がぐんと増した時期だと思うからです。家族や友人が動かなくなる(「死ぬ」)のを見て「悲しい」「さみしい」と思ったり、氷河期の寒さを乗り切るために獲物の毛皮を利用して服を作ったりと、われわれと同じような感情や解決手段を持っていたようです(諸説はありますが)。個人的な意見ですけど、どことなく「旧人」にシンパシーを感じてしまうんですよね。




私立中学・高校の教員になるにはどうすればいい?


このご時世に、私立教員になろうとは!(笑) 偉い!(笑)

良いでしょう、教えて差し上げましょう。

ズバリ、私立学校の求人方法は、地域や学校によってそれぞれ。

たとえば福岡でいえば、夏に「福岡県私学適性検査」という、言ってみれば採用試験の様なものを受けると、受験者リストに名前が記載されます。そのリストの名前の横に、試験の成績が書かれた書類が、各私立学校に送られるようなイメージだと思って下さい。各学校は希望する人材をそのリストから選び、それぞれに連絡して「ウチに来ませんか?」みたいな交渉をしていくわけです。もちろん、良い人材はリストに載る前に契約を結びたいわけですから、学校によっては夏前までに募集をして、適性検査の頃までには採用を決めてしまうというパターンもあります。それから、その学校の同じ系列の大学から人材を推薦してもらって採用するパターンも当然あります。

まとめると、採用ルートも、採用時期も、学校によってばらばら。だから、常にアンテナを張り巡らせて、採用のチャンスをうかがうことが重要です。




大学受験の勉強法とその勉強時間を教えて


“良い勉強方法(教科の順番や環境など)”については様々言われていますし、先生によってもそれぞれ答えが違うでしょ? 「何が良い受験勉強方法なんですか?」という生徒からの質問については、私はいつも「人それぞれ違う」とこたえています。

 では、テキトーに気の向くままに勉強して良いのか? 答えは「ノー」です。

 なぜならば、受験勉強の本質は「質」ではなく「量」だからです。(ここは強調しておきます)

 「効率よくやろう」「最小の労力で最大の効果を出そう」と考えは、受験勉強ではまずNGです。点数が出なくても、簡単な問題を間違ってもいいから、自分の気に入った問題集(参考書よりも問題集です)をどんどん解いて、復習・見直しをすることが必要不可欠です。

 そうすると今度は、どれくらいの量(時間)を勉強すれば良いのか?という点が気になります。大手予備校はそれぞれ大学合格者と勉強時間の相関データをとって分析を行っています。簡単に紹介すると……

◆高校の授業時間を除く「自習時間」目安(年間)

 ・国立最上位(東大/京大)― 1700時間(年あたり)※4.6時間/日

 ・国立上位(旧帝大) ― 1500時間(年あたり) ※4.1時間/日

 ・私立上位(早慶) ― 1300時間(年あたり) ※3.5時間/日

 

※医学部以外

 これはどういった数字かというと、「この時間数を下回った場合には、そのレベルの大学の合格者はほぼいませんよ」という数字です。つまり、合格最低時間数といえます。またさらに、このライン以上の量を勉強しても「不合格になる受験生」がいることにも注意して下さい。

 ここから勉強計画を導いていけばいいと思います。

例えば、MARCHレベルの私大であれば、ざっと1100時間を最低限の目標とします。そうすると…、

週あたりただいたい22時間分の自習が必要だ

→平日(学校日)はせいぜい2~3時間が自習時間の限度だろう

→月~金は「2時間」、土は「5時間」、日は「7時間」やるんだ!

という具合に、一週間の枠組みが見えてきます。

次に勉強時間の教科配分ですが、国立も私立も社会の配点は高くないので、なんといってもやはり英・国・数を充実させなくてはいけません。

1100時間を私大3教科それぞれに配分するならば…

「英:450時間 国:450時間 社:200時間」 といったところでしょう。

教科の多い国立の場合であれば、社会は多くても150時間くらいにとどめておく必要があるのです。




商業や農業が得意な民族とかってどうやって決まるの?


非常に良い質問です。

これはその民族が、どのような地域に出自を持つかで決まるのではないかと思います。寒冷地であったり土地が痩せていたりして、農業もままならない地域に出自を持つ民族は、馬に乗ることが得意であったり、牧畜の知識が豊富であったり、あるいは他の民族に戦争を仕掛けて勝利することに長けている可能性があります。また、沿岸部や交通の要衝に住んでいる民族は、自然と語学に長けていたり商業が上手かったりします。いわゆる「環境決定論」によるところが大きいのではないかと考えます。




人はなぜ生きるのか?


深い…。深すぎる……。高1の質問とは思えないほど哲学的な質問ですね…。

いやー、これは困ったね(笑) だって、私が「人の生きる意味」を語れるわけがないでしょう。意味もわからず、ただやみくもに生きてきましたがな。

 

 古代ギリシャの哲学者も同じような問いをし、それぞれがそれぞれに答えを導き出しています。ソクラテスは「絶対的真理の存在」に生きる意味を見出し、プラトンは「この世界ではないどこか遠くにある素晴らしい本当の世界を追い求める」ことに生きる喜びを感じ、アリストテレスは「現実逃避せず、嫌で嫌で仕方がないこの世の中をあえてじっと見つめなおす(睨み返すの方が正しいかも)」ことに人間としてのあるべき姿を見つけました。

 質問の回答としては「逃げ」になるかもしれませんが、「生きる意味を見つけるために生きる」というのが、一番しっくりくるのかもしれません。




世界史の中で「面白い顔」をした人を教えて!


う~ん…面白い顔ねぇ…。どういう観点で「面白い」とするかがムズカしいな…。

まあ、世界史的な背景から見て興味深いという意味で「面白い顔」を紹介しましょうかね。

スペイン=ハプスブルク家最後の王、カルロス2世です。異常なまでに白い顔面、ハプスブルク家の“特徴”と言われる長くしゃくれた顎、どこか焦点の定まらない目、ぼさぼさの髪…。はっきり言ってブサイク、ですね。

実際、体もきわめて弱くしょっちゅう病気にかかり、知育の発達も遅かったと言われます。一体なぜこのような王子が生まれてきたのか?という理由ですが、それはスペイン=ハプスブルク家の家系図を見れば一発でわかります。

一番下に書かれているのが「カルロス2世」ですが、この家系図の異常性が分かりますか? 200年間の一族の子孫が、たったこれだけの線で表せるということは、それほどに「“血”の近い者同士での結婚が繰り返されてきた」ということです。

高貴なハプスブルク家の血を他の家系の血で“汚さない”ようにしたのです。

カルロス2世の「父」の姪がカルロス2世の「母」で、さらにその「母」の両親もいとこ同士です。もうワケが分かりません。生物学上、血縁関係が近すぎると生まれてくる子どもの体質に悪影響があることが知られていますが、カルロス2世はまさにその犠牲となっていると言えます。後に彼が30代で亡くなるとスペイン=ハプスブルク家はブルボン家によってその王位から引きずり下ろされてしまいます。まさに「血」を守ることで、自らが崩壊してしまったわけです。




「青銅」はなぜ最初に広く使われたのか?


大変良い質問です。

一般的には、「銅」や「鉄」に比べて、青銅のほうが「加工しやすいから」だと言われています。加工する時は、火に勢い良く空気を送り込んで温度を上げ、金属をドロドロに溶かして成形・鋳造するわけですが、「銅」を単体で溶かそうとすると1083℃まで上げる必要があります。この温度がいわゆる銅の“融点”です。

 一方、スズは230℃と比較的低音で溶ける性質があり、銅と一緒に溶かすと、融点が870℃くらいまで下がります。1083℃と870℃。この200℃の差が、青銅の加工のしやすさというわけです。




昔の人はなぜ「神の声」をきけたのか?


おお!鋭いね!いいところに気が付きました。

「神の声なんて適当にでっち上げて、民衆を支配すればいいじゃないか」と思ったりもしますが、予言が外れたり政治が立ちゆかなくなったりするとすぐに支持を失って、最悪殺されてしまいますから、昔の人々はなんとかして「神の声」を聞こうとさまざまな工夫をしました。基本的には、「我を忘れた状態(ボーっとした状態)」になれば神様が降りてきてくれるだろう、と人々は考えます。静か な場所で何日間も飲まず食わずで瞑想したり、ぐるぐる何時間も回転して頭の中をふらふらさせたり、時には麻薬を使ったりもしています。我を忘れる方法は時代や地域によってばらばらですが、正気を失うことで神の声を聞こう、神に近づこうとする点は共通しています。ただ、時代が下り、次第に神についての論理的な解釈がなされると次第にそういった儀式は姿を消していきます。 せっかくなので、もう一つ面白い学説も紹介しましょう。アメリカの心理学者ジュリアン=ジェインズの「二分心(Bicameral/バイキャメラル)論」です。 彼は、かつて人間は本当に「神の声」をきいていたのではないか、という疑念を出発点として、言語活動や脳の発達から「神の声」とは何だったのかを明らかにしていきます。ここでは長くなるので詳細は割愛しますが、興味があったら調べてみて下さい。とても面白いですよ。




ちょくちょく授業で中国語を発音してるけど、中国語しゃべれるの?


これは私の中国語の歩みを少し語って、誤解を解く必要がありますね。

そうです。お察しの通り、かつて私は大学で中国語を学んでおりましたが、私の中国語の先生(梁先生といって、もちろん中国出身の方です。)が元女優という経歴を持つ方だったのです。実際、母国中国でも映画やドラマの出演経験をお持ちの方でした。そんな経歴を持つ先生なので、それはもう「発音」にめちゃくちゃ厳しかったです。もうね、はっきり言ってトラウマレベル。来る日も来る日も発音発音発音発音……。「ニーハオ」の発音だけで居残りさせられたこともありました。おかげで発音には自身がつきましたが、それ以外のリスニング・読み・書きは全然ダメなのです…。だから私は「発音」しかできないというどうしようもない中国語話者になってしまったのです…。

人生のどこかでもう一度中国語(とフランス語とアラビア語)を勉強したいなという思いはあります。

※でも、漢文の授業でやるような漢詩の「韻」や詩の持つ独特の抑揚を生徒に聴かせたいときに自分で発音できるのは便利ですね。(その点は、今は梁先生に感謝しています)




日本的な神の考え方(多神教)とキリスト教的な神の考え方(一神教)はどちらがいいのか?


良い質問ですね~。良い質問だけど、明快に回答するのは難しいね(笑)

ズルい回答をすれば、「人それぞれ」でしょうかね~。一神教(神は「1つ」と考える宗教)で救われている人もたくさんいれば、多神教(日本のように神がたくさんいる宗教。アニミズム的な宗教。)の方が気が楽でいいなぁ、と思っている人もたくさんいるわけです。 「一神教は他の神を認めないので、よく戦争を起こす。だから、日本のように多神教が良いのだ」という意見を聞きます。「多神教が良い」という部分は否定しませんが、世界史を教えている立場から言わせてもらえれば、「一神教はすぐ戦争を起こす」と言い切ってしまうのはちょっと危ないと思いますよ。イスラーム教もキリスト教もユダヤ教も一神教ですが、崇めている「神」は全て同じです。(文系に進めば高2の世界史で学習します) 近現代の戦争の理由は、ほとんどが「土地や資源の奪い合い」です。政治的、経済的な理由を覆い隠して正当化するために、宗教的な理由を付けていることがほとんどなのです。一神教も多神教も、互いに素晴らしい点はたくさんあると思います。(日本で生まれ育ったような私個人としては、多神教の方が気楽で、柔軟で、良いなあ~、とは思いますが…) 社会問題になるのはたいてい、「宗教」ではなく、「地域の文化」ですね。例えば、イスラーム教は女性を大事にしていない!という批判も良くありますが、あれは「女性の権利を伝統的に認めていない地域でイスラーム教が信仰されている」だけであって、イスラーム教の地域でも女性の権利をきちんと認めているところはたくさんあります。「宗教」と「地域文化」を混ぜて考えないようにすることこそ、「グローバルコンピテンシー」を持つことの第一歩だろうと思います。




貧富の差を無くすためにはどうしたら良いのか?


いや~、大変素晴らしい。生徒の鑑の様な質問です。

 

 貧富の差…。人類にとって最大の難問ですね。

 人間はやっぱり、他人よりも良い生活をしたい、お金持ちになりたい、楽に暮らしたい、という願望は捨てきれない動物なのだと思います。でも、その願望が「ダメ」かというと、決してそうではない。そうした願望が、人生の大きなモチベーションになり、人間が人間らしく輝くための重要な要素になるからです。勉強して、いい大学に入って、就きたい職業に就いて、素晴らしい人生を手に入れたいと思うのは当然の要求だと思うのです。それを否定してしまったら、誰が勉強するのか、誰が国や経済を動かすのか。みんなやる気が無くなってしまいます。だから、他人よりも幸せになりたいという願望は大切です。では、どうしたら、人生に苦しむ人がいなくなるのか? この難問を、色々な人々が考え、研究してきました。例えば、19世紀に活躍したドイツ人思想家のマルクスという人は、一度みんなの財産を一箇所に集めてそこから分配すれば、貧富の差や財産に関する悩みが無くなりみんながhappyになれる、と考えました。理念としては素晴らしいですが、残念ながら、ズルをしたりサボったりする人が大量に出て、不公平極まりない状況に陥ってしまいました。その先にたどり着いたのは、戦争や虐殺でした。一方、金持ちが力を持つ資本主義が良いかと言われれば、それもNoです。一部の人々に富が集中し、それ以外の大多数の人々は苦難を強いられることになりました。結局、行き着いた先は、暴動やテロでした。

 貧富の差をなんとかしようとすればするほど、どんどん人が死んでいく、という歴史を繰り返してきたのが人間です。「世界史」という授業はまさに、そうしたストーリーを3年かけてじっくり見ていきましょう、という授業です(もちろん、高2から文系に進めば、の話ですが)。

 答えは、いまだ空中にふわふわと漂っていて、誰も捕まえることができていません。それが現状です。でも、手を伸ばすことは決して無駄ではないと思うのです。指先に触れるかもしれないし、ふとした瞬間にぎゅっとつかむこともできるかもしれない。だから、私も、若い高校生も、どうしたら良いのかを考え続けなければいけません。「自分が人よりも幸せにならないようにする」ことよりも、「自分がどんなに豊かな立場であっても、現状から目を背けずに考え続ける」ことの方が何倍も大事なことだと私は思います。




文学において詩人が活躍してることが多いように思うのですが?


大変良い質問です。

現代では「文学者」と言えば、多くの人が「小説家」を思い浮かべますが、「小説」というジャンルが認知されるようになったのは、世界史的にみても、せいぜい200~300年前です。実は、人類が文明を築き上げてから数千年の長きにわたって、「文学」は、イコール「詩」を指しました。文字を操ることができる人も限られており、さらにその中でも、一定の「詩型」(文字数や韻などのルール)を守り、文章を音楽的な旋律・リズムでもって飾り立てる、というのが昔からの詩人の仕事です。

ですから、詩人というのはある種、特殊技能集団に属する人たちで、尊敬の対象でもありました。詩のテーマが歴史ならば「叙(抒)事詩」、人間の感情(愛や怒りなど)ならば「叙情詩」、自然の美しさならば「叙景詩」と分類されます。

現代の「詩人」とは、少しイメージが異なるんですね。




「服属させる」「征服する」という言葉に違いはある?


なるほど、良い質問です。

実は、こういう言葉の使い分けは、日本史・世界史どちらの教科書会社も頭を悩ませているようです。

「滅ぼす」「征服する」「倒す」「制圧する」「瓦解させる」「服属させる」、という微妙な使い分けがありますが、正直、歴史家の中でもこうした表現については歴史観の違いから意見が分かれることがあり、なかなか定まりません。ただ、せっかく質問してくれたので、おおざっぱではありますが、下記のように回答したいと思います。

■「征服する」(≒「滅ぼす」「倒す」)

国家そのものをつぶしてしまうことを指します。ほとんどの場合、負けた王は殺さ

れるか、あるいは地位を剥奪されて国外に追放されるか、のいずれかになります。

■「服属させる」

 国家そのものをつぶしてしまうよりは、自分たちの従順な「子分」として利用した

ほうが良いと判断して、あえて「服属国」として生かしておく場合によく使われま

す。当然、服属国が宗主国(いわゆる「親分」)に歯向かえば、徹底的に破壊の

限りをつくしてつぶされます。




テレビドラマで、財政難の時に「貨幣そのものを変える」というシーンを見たが、これは意味があるの?


良い質問です。テレビドラマが勉強に役立つ好例でしょう。素晴らしい。

貨幣の価値を下げることで、中央政府が利益を得るというやり方ですね。日本に限らず、世界中でよく使われていた方法です。歴史用語としては、「貨幣改鋳(かいちゅう)」といいます。(後々、日本史でも登場する言葉です)

貨幣の価値を下げるというのは、お金をたくさん作る、意図的にインフレをおこすということ。つまり、中央政府の抱えている借金を、お金をたくさんつくる(流通させる)ことによって少なくしよう(もうそれくらいしか具体的な改善策が無い、という逼迫した状況も想定されますが)、という方法です。ただし、これをやりすぎると経済に大混乱が生じ、国家の存続すら難しくなってしまうため、諸刃の剣でもあります。新井白石が江戸幕府を非難したのも、このような理由からです。

※ 余談ですが、安倍政権の政治も言ってみればインフレ経済に近づけ、景気回復のきっかけとしたいのです。アベノミクスの柱である、「日銀の金融緩和(円の増刷)」も「国土強靭化(公共事業投資)」も、日本の国内にたくさんお金を流通させるための政策。消費税10%も先送りされてきましたが、消費税を上げてしまうとお金が流通せず、デフレ状態に近づいてしまうため、当時の参議院選挙とも相まって、消費税10%に二の足を踏んだのですね。




国旗はいつからある?


「国旗」というのは、そのほとんどが「軍旗」か「商船旗」に由来しています。つまり、何らかの勢力と衝突する、あるいはニアミスするようなおそれのあるケースで効果を発揮します。自国の旗を国際的に知らしめなくてはならない、という暗黙にも近いルール・制度が出来上がってきたのは、大航海時代を経て迎えた植民地争奪時代でしょうね。時期には、16~17世紀頃でしょうか。ただ、これは「国民国家」「近代国家」という概念が誕生する前ですので、どの程度“国際的(に認知されることを意図しているか)”であったかは不明です。(勘合貿易や朝鮮出兵のときに掲げられた旗を「国旗」とみなすのかどうか、という問題と構造的には同じです)

もちろん、小中規模の地域的な戦闘で掲げられた「地域・部族の旗」は、それこそシュメールやエジプトの時代から存在します。




国名は誰がどうやって決めているのか?


これはまた難しい質問ですね。(笑)

そもそも、「国名」が何を指すのか、というのが難しい。日本人が日本のことを「ジャパン」と日常で呼ぶことはありません。英語圏では「Japan」、中国語圏なら「riben」です。「では、どれが国名でしょうか」と問われても、全部正解のような気もします。

国の名前は、呼ぶ人の数だけ存在します。国名とは、本来そういうものです。

「地域名でそのまま呼ぼう」 「算出する鉱物資源で呼ぼう」

「なんとなくみんながそう読んでいるから、発音をそのままもらおう」 など…。

ただし、自分たちを呼ぶときの名前だけは、どの国もわりと真剣に考えます。なぜならば、自分たちのアイデンティティやナショナリズムと直結するからです。「日本」という名前も、「太陽がのぼる場所」という意味ですよね。フビライ=ハンだって、別に「フビライ=ハン国」にしてしまえば良かったものを、「俺は中国文化に惚れ込んだから、ここはあえて中国風の『元』にするぞ!」と国名を決めたわけです。




世界で一番古い会社はどれくらい古い?


良い質問なんだけど、長い歴史を持ついわゆる老舗企業が、世界で最も多い地域は日本ですよ!日本には創業200年を超える企業が3146社あり、世界最多! 確かに、ヨーロッパにも数百年続く企業がありますが、世界最古の会社トップ3は全て日本の会社です。(しかも1000年以上の歴史を持つ会社はなんと7社もあります!)

世界最古の企業 「金剛組」(西暦578年創業)

かなり有名な会社です。寺社建築や修復を専門とする建設会社にして、世界

最古の企業。聖徳太子が百済からよんだ宮大工たちが創業したといいますから、レベルが違う!ちなみに大阪の会社です。




凶悪な犯罪者が精神鑑定で減刑されるケースがあるが、どう思う?


これはよく是非が問われるテーマですね。シンプルに考えれば、加害者更生の視点に立つか、被害者感情を優先するか、という議論に集約されるのではないでしょうか。私自身、法学部を出たわけではありませんので専門的な語句や法解釈に言及はしませんが、歴史を鑑みると、200~300年前までの「法」とは、統治や秩序維持が第一目的であって、法による「(秩序維持のための)見せしめ」や「(一方的な)コミュニティからの排除」は、至極当たり前の概念でもありました。ところが国民国家が成熟するに従って個人の尊厳と責任が尊重されるようになり、「法」の概念も変容してきました。現在の法学では「責任能力の有無」が重視されますが、これは「自分の罪(不法行為)を認識できるかどうか」と換言できます。少し乱暴な言い方かもしれませんが、「1歳の子どもが大人を叩いても、罪を認識できないのだから罰してもしょうがない」ということと、同根です。被害者感情を和らげるための“見せしめ的刑罰”は、個人の尊厳を侵害するものであり、秩序を保つ効果は期待できないというのが法曹界の一般見解なのでしょう。ただ、見せしめに代表されるような「社会的な制裁」が、秩序維持(いわゆる「ガス抜き」)に寄与したという歴史的事例も多く存在します。(社会学の分野では「シャリヴァリ」と呼ばれます。非常に興味深い研究が多く、私自身も大学の時にハマったことがあります) 「被害者や世間の感情」と「加害者の悔恨・社会復帰」、果たして、どちらを優先すべきなのでしょうか。私自身、今現在は後者寄りの考えなのですが、歴史を鑑みれば余計に分からなくなるというのが、正直な感想でもあります。




日本に「王朝(~朝)」の概念は無い?


良い質問です。

ただ、明確に答えることはなかなか難しい質問です(笑)

そもそも「王朝」の定義からしてはっきりと定まらない。歴史家たちによっても主張が異なるケースさえあります。それでも、王位が直系から傍系にかわるような際に一区切りつけておくことで研究もしやすくなりますので、「~朝」というのは、あくまで便宜的な呼び方だと思えば良いわけです。

中国なんかは、易姓革命の思想が強いために、全く別の血筋・血統の者が新しく皇帝になるケースが多い。だから、中国の場合は「~朝」(あるいは新たな国号)という呼び名は分かりやすい。

ヨーロッパだと、たいていは前王と関わりのある血筋・血統の者が王位を継承する場合がほとんどですので、「家名(同じ名を名乗る親族団)」が変わった場合には王朝交替だと捉えます。

では、日本はどうか。これが実に難しい。

日本はまず天皇家が国を治め、現代まで脈々とその血筋が受け継がれていますので、ずっと「天皇家による王朝」が続いていると考えられます。しかし、政治権力を武家がにぎっていた時代もかなり長いわけですから、「鎌倉朝」「江戸朝」と呼び分けても問題は特に問題はないと思われます(そんな呼び方は全く浸透していませんが)。また、江戸幕府についていえば、徳川御三家(紀州・尾張・水戸)のうち、紀州・尾張の2家については、幕府の世継ぎがいなくなった場合はどちらかから養子をむかえて将軍にするという規定がありましたよね。8代将軍の吉宗は実際に紀州から養子として江戸に出され将軍になっています。日本史の授業であれば「これで江戸幕府の世継ぎは安泰です」と言えますが、ヨーロッパ史においてはこれは明確な「王朝交替」です。「江戸朝から紀州朝になりました」と教えてもいいわけです。(実際に、8代吉宗から14代家茂までは紀州の血筋の将軍ですよね)

王朝の概念とは、実はそんなもんです(笑)。




変わった風習を持つ民族(部族)を教えて!


変わった風習(あくまでも日本人から見た視点ですが)を持つ民族は、たくさんいます。首を長くしたり、くちびるに丸い板を入れて大きくしたり、テレビ番組でもよく取り上げられていますね。

私が個人的に興味を惹かれたのは、パプアニューギニアのとある部族、年をとった女性は皆なぜか歯が無かったり、指が短かったりするんです。これは何かと言うと、夫が亡くなった時、その悲しみを表現するために、妻が歯を抜いたり指を切ったりする。「自分の身体を傷つけてしまうほど、私は夫が死んでしまって悲しい」という意思表示をする。この行為を見て周囲の人も二人の愛を褒め称え、また女性もその傷が死ぬまで誇りになる。

 日本人からしてみれば、「なんでそんなことを…」と思ってしまいますが、「価値観は普遍的でない」ということを示す好例ではないかと思います。その部族では「当たり前」に行われていることです。ちなみに、その話を教えてくださった方(実際に写真もたくさんみせてもらいましたが)が、その部族と接触した際、女性たちはみな短くなった指や、歯がなくなった口を開いて、「ぜひ見てください」と満面の笑みでこちらに話しかけてくる、とおっしゃっていました。それほど、この風習はこの部族にとって「誇り」なんですね。




歴史上、「ヤバい」髪型は何ですか?


髪型には流行り廃りがあるので、各時代で人々に好まれた髪型はさまざまです。

日本の「ちょんまげ」だって、意味もなく現代人がやっていたら笑われますよね。

 世界的に有名な髪型は「トンスラ」だろうと思います。これはカトリックの修道士に多く見られる髪型です。

 頭頂部のみをきれいに剃り上げて、周囲の頭髪を鉢巻状に残しておく髪型です。公式に廃止されたのは1972年のことですので、トンスラを好む慣習は比較的に長く続きました。

よく小中学生が、「ザビエルは頭のてっぺんがはげ」

といって、偉大なイエズス会士を馬鹿にしますが、あれは自らそういう髪型に剃り上げているのです。(ただし、カトリックの中でも、イエズス会はあまりトンスラを好まなかったと言われていますので、ザビエルはこの絵のような髪型ではなかった、という説もあります)




「アウストラロピテクス」とかの語源って何?


良い質問ですね。聞き慣れないカタカナ名なので、気になるのも無理はありません。「アウストラロピテクス」という呼び名はいわゆる「学名」で、研究者の中では世界共通でこう呼びましょう、という決め事のようなものです。

例えば、日本では「犬(イヌ)」と呼ばれる動物は、英語圏では「dog」という違う呼び名で呼ばれます。普段の生活の中では特に混乱はないのですが、世界中から研究者が集まる学会などでは、呼び名が違うと混乱を生じてしまうおそれがあります。日本では簡単に「イヌ」と呼ばれますが、研究者内で通用する世界共通の呼び名は、「Canis lupus familiaris」(カーニスルプスファミリアーリス)です。

 これ以上の詳しい説明はさすがに私の専門からは外れてしまうので言及しませんが、絶滅してしまいもう見ることのできない生き物に様々な「呼び名」があるわけがありませんので、概ね学名で呼ばれます。「アウストラロピテクス」や「ホモ=ハビリス」がそれにあたります。

 また、学名にもそれぞれ何らかの意味があります。例えば、「アウストラロピテクス」(Australopithecus)は、「南の」(Australo)「サル」(pithecus)という意味のラテン語から名付けられています。「オーストラリア/Australia」(南の土地)も同じ語源だと言えば少し分かりやすいでしょうか。

ちなみに、化石人類の学名は、調査や研究において新しい発見があると、よく「学名」が変わります。

ややこしいですね。




「官僚制」と「民主制」はどちらが国が発展するか?


切り口が鋭く、秀逸な質問だと感じます。

「民主制」とは、国民一人ひとりの意見が政治に反映される(されやすい)システムだ、という理解で話しをすすめましょうか。「官僚制」の官僚は、色々な捉え方があるとは思いますが、原則的には「プランを実行に移すための司令官・実働部隊」だという認識で良いでしょう。優秀な官僚の上に王や皇帝がいれば、より強権的で堅固な国が作れるでしょう。

ところが、皇帝(王)と官僚がタッグを組んで、どんどんと好き放題に政治を行えば、しだいに国民の不満がたまって大反乱!ということもあるでしょう。じゃあ一方で政治の全てを民衆の声に任せればいいかと言えばそうではありません。人間は一人ひとりその要求は違いますし、誰かにとって好ましいことは別の人にとっては最悪の状況だ、ということはよく起こります。

 だからバランスが必要です。さらにここに経済・軍事・文化・宗教・地勢という観点が加われば、その問題は複雑化します。世の中の「政治学者」と呼ばれる人たちは「何がベストな政治なのか?」を日夜研究していますが、逆に言えばいまだに答えは見つかっていないということです。

あともう一つ言えるのは、「民主制」と「官僚制」は共存が可能だということです。実際に日本は民主政治を行いつつも、国の省庁には“実働部隊”の官僚がたくさんいます。大切なのは両者の“バランス”でしょうね。




古文・漢文はどうやって勉強すればいいのか?


それは国語の先生に訊くのが一番良いんじゃないの?(笑)

歴史教員の立場から言わせてもらえば、古文も漢文も、何らかの「背景」「ストーリー」があって存在しているものなので、それを「楽しい」と思えるかどうかが鍵だと思います。そういう意味では、古文も漢文も世界史も日本史も、同じです。数式や化学式とは、少し性質が異なります。

世界史も、例えば「アメンホテプ4世」という王名をただ覚えるのは、苦痛でしかない。実際、覚えようが覚えまいが、自分の人生には関係ないからです。ただ、アメンホテプ4世がどんな「性格」で、どんなことを「ひっくり返そうとした」のか、またなぜ「そう思った」のか、とかを想像すると、単なる王の名前に、なんとなく少しずつ色がついてカラフルになっていくような気がします。

古文も漢文も、「品詞分解」とか「助動詞の活用」とか「再読文字」とかだけでは、全くと言っていいほど面白くありません。はっきり言えば、自分の人生には関係ないからどうでもいいや、という感じです。ただ、その作品が何を言いたいのか、どんな背景を持って書かれたのか、話しの“オチ”は何なのか、ということを探りだすと意外と古文・漢文は面白い。その面白さに到達するまでのステップに、「品詞分解」などの面倒な作業があるんだなぁ、と私も高校生の時にしみじみ思いました。

古文や漢文のストーリーを読むときは、先に現代語訳をなんとなく読んでおいて、面白さやオチなどを確認してから原文を読むと、意外と品詞分解や助動詞の活用にはこんな重要な意味があったのか!と気づくことがあるので、おすすめです。




徴兵制と職業軍人(傭兵)はどちらが良い?


「徴兵」か「傭兵」かという点を質問するのは、非常に目の付け所が鋭いですね。素晴らしい。でもこれはなかなか返答が難しい質問ですね。

徴兵制と職業軍人(傭兵制)は、その背景が異なります。

そもそも「命をかけて国を守ること」は、現代の日本ではどことなく後ろめたいような印象がありますが、人類史全体を俯瞰すると「とても名誉なこと」として受け止められる時代の方がはるかに長いのです。お金があり、支持基盤があり、戦術知識がある人でないと兵役はとてもじゃないですが務まりません。命をかけて、というのは「犬死にする」とは明らかに違います。戦略的に戦わないと、財産はもとより愛する家族や王朝すら消えてなくなってしまいます。

逆に言えば、王朝へのリスペクトやプライドが失われると、軍は集まらなくなってしまいます。これに危機感をおぼえた王朝は、税を軽くする、土地を支給する(「均田制」ですね)などの条件をつけて、農民たちに兵士としてのスキルを身に付けさせようとします。これはいわゆる「徴兵制」にあたるでしょうか。中国でも「府兵制」という名前で西魏~隋~唐などで採用されました。日本でも「防人」(さきもり)というのがありますよね?「ああ、いやだな~、防人なんてどこに飛ばされるか分かったもんじゃないよ」という嘆きが歌になったりしてますが、そのモデルは中国の「府兵制」です。

でも、「徴兵制」は精神的・経済的にも苦痛だったため、国から支給された土地を捨ててでも兵役から逃れる人が続出します。これでは徴税はおろか、国防すらままならないので、いっそのこと給料をグンとあげて、モチベーションやスキルの高い人間に兵役をやってもらおう、という方向へシフトします。中国では「募兵制」といって、現代でいえば「傭兵制」にあたりますね。日本の自衛隊やアメリカ軍なども「傭兵制」ですね。

 で、話しをまとめると、「徴兵」→「傭兵」の流れから、なぜまた近代に「徴兵」に戻ったのかということですが、端的に言ってしまえば全てが「徴兵」に戻ったわけではありません。自国・自民族へのアイデンティティ(帰属意識)が強い地域では「徴兵」でも成功するでしょうし、経済力がある地域ではハイレベルな「傭兵」の養成も可能でしょう。場合によっては、「徴兵」「傭兵」どちらもダメという地域もあります。「徴兵」「傭兵」どちらが良い、と断定するのはなかなか難しいですし、「徴兵」から「傭兵」へ、と流れをひとまとめにすることも厳しいですね。

もちろん、中国はこの頃コレで、ヨーロッパはコレが主流だった、という説明は可能ですけどね。もちろん「火薬」(火器)が登場したことも影響はしているでしょうし、それ以外の要因も複雑に絡んでいるでしょう。最近では兵器がハイテク化しているため、戦争で最も重要なのはプログラマー(情報管理者)とエンジニア(研究者)だ、といわれることもよくあります。こういう場合、「徴兵」をやって人を沢山あつめても、もはや邪魔でしかありません。少数精鋭部隊を組織して、ばんばんハイテク兵器を供給するだけでいいんですよ。無人爆撃機なんてのもありますから。

「徴兵」⇔「傭兵」を考察する時は、時代背景と地域性に絞ってみていくと非常に興味深いですよ。




なぜ専売で国の財政状況が好転するのか?


塩などの生活必需品は、万人が欲するものですから、これを国だけが販売することにして、その値段も好きに設定してしまえばいくらでも儲けがでますよね?

たとえば、100グラムの塩を100円で売っていたところに、国の財政状況が悪化したから明日から100グラム1万円に値上げします!と発表すれば、民衆はいやでも国から買うしか無いので、必ず値上げした分の儲けが発生します。これが「専売」です。ちなみに、「生活必需品」でないと専売の効果はあまりありません。コーラを1本1万円にしたところで、「じゃあ、別にコーラなんか飲まなくていいや」となりますからね。生活必需品ではないコーラを専売にしてもたかが知れています。

 ちなみに言えば、「塩の密売商人」は民衆のヒーローだったようです。専売制による値段の吊り上げで家計が苦しいときに、その塩を国よりも安く売ってくれるのですから、生活を守ってくれるヒーローに他なりません。もちろん国はこうした密売商人を捕まえては処刑にしていましたが、村人たち全員で密売商人たちをかくまったり、警吏に嘘の情報を教えたりしていたようです。




「戦争」「戦い」「乱」などの使い分けはどうやるのか?


これは世界史に限ったことではなく、日本史でも同様の疑問が浮かびますね。

実際のところ、歴史の用語というのは後の時代の歴史家たちが自分たちの言語感覚で決めているところがあります。「関ヶ原の戦い」を、「関ヶ原の合戦」「関ヶ原の役」「関ヶ原の乱」「関ヶ原の陣」と言い換えたって、別に構わないと思います。大事なのは、戦いの背景やその後の結果ですからね。

ただ、なんとなくではありますが、使い分けの基準が存在することは存在します。ただ、さきほども言いましたが、歴史家たちの個人的な言語感覚によるところが大きいので、全てのケースにあてはまるわけではありません。

「戦い」…一般的な“戦い”。「ピンポイントで起こった争い」を指すことが多い。

「戦争」…敵方に対して明確にこちらが攻めていくぞ、という意思を表して起こった戦い(「宣戦布告」)。したがって、国家間の争いで使用されることが多い。

「乱」…権力の中枢(皇帝・教会勢力・幕府・朝廷など)に対する戦い。

「役」…“戦役”の役なので、戦争や戦いと同義。「ポエニ戦争」の他、「ポエニ戦役」という言い方も、実際に広く知られている。

「事変」…近現代史によく登場する用語。正式な手続きを経ずに勃発した戦争や武力衝突に用いられることが多い。




王や皇帝は何人くらい奥さんがいた?


王や皇帝の最大のミッションの一つは、「世継ぎ(子ども)を残す」ことでした。現在のように医療技術が高いわけでもなく、衛生環境も良いと言えない時代のことですので、生まれた子どもが幼くして亡くなることは当たり前、もし成人したならば幸運に恵まれたのだ、と考えるのが一般的でした。ヨーロッパでも、50人もの子どもを得たにも関わらず、誰一人として成人しなかった、という例もあるほどです。だから、世継ぎを残すことはまさに最大のミッションだったのです。

こういう背景では、王や皇帝の「一夫一妻制」はさすがに厳しいですね。一応、正式な妻(日本史で言えば「正室」でしょうか)はいるけれども、その人とは別の女性(「側室」「愛妾」)を囲っている、というのが常でした。

では人数は?という質問ですが、時代や地域によってばらばらです。中国の皇帝は概ね「20~100人」くらいでしょうか。徳川幕府でも、家康の妻は18人、最も多い11代将軍徳川家斉では妻は41人もいます。さらに、こういうトピックで一番有名なものは、やはりオスマン帝国(オスマン=トルコ)。ハレム(ハーレム)と呼ばれる後宮には、多い時で1000人の女性がいたとも言われています。この人数にはさすがに驚かされますね。




(特に近現代において)大規模な戦争があるたびにどこかの地域が独立するのはなぜ?


良い質問なんだけども、この回答はなかなか一筋縄ではいかないね(笑)

実は、「一生懸命戦って、戦後に独立を勝ち取りましたー!」っていうパターンと

「もともと独立運動を続けていた地域において、その地域を支配していた国が戦争に敗れたとき(あるいは戦争で劣勢となったとき)に、講和条約でその地域を独立させる」というのが結構多いですね。特に後者のケースは、敗戦国に程よくダメージを与えておくためには非常に効果的です。しかも、独立国に恩を売っておくことができる。だから、独立国を承認するというのは、ある意味では外交戦略の重要な手段の一つでもあるわけです。





YOU CAN'T PICK-UP YOUR PACKET?

If your schedule doesn’t allow you to participate at the packet pick-up, you can either purchase the bib mailing option or delegate someone to pick it up on your behalf. There is absolutely NO RACE DAY PACKET PICK-UP.

NO EXCEPTIONS, sorry.

BIB BY MAILING


You can request to receive your BIB at your doorstep by opting for the Bib Mailing Option for an additional cost of $25. Additionally you will be able to collect your race packet and T-Shirt at a reserved area (you will find signage directing you) directly Sunday on race day from 5:00 am to 12:00 pm! Remember, there is absolutely NO RACE DAY PACKET PICK-UP, therefore if you haven't selected this option you are required to attend the Expo on Saturday or find someone to delegate it to. If you didn't purchase this option during registration dont worry. The Add-on option can be found by logging on to RunSignUp, navigating to Profile > Upcoming Events > Manage Registration > Click Add-On menu item located on the top of Race page. For help click here. We close BIB mailing three weeks before the race, so be sure to sign up early! If you contact us after October 10th, we will not be able to mail out your packet. We mail bibs out two weeks prior to race day. So keep an eye out in your mail.




DELEGATING YOUR RACE PACKET PICK-UP


If you have delegated someone to collect your packet pick-up please ensure they provide: - A photocopy of your ID - Order number - Have elettronically signed the waiver Without all of the above they will NOT be able to pick-up the packet on your behalf. Click here to visit 'How to View or Sign the Race Waiver'.





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